●徒然なるままに Part3

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2004年5月26日:恐竜博物館にて

 先日の週末に家族で福井県勝山市にある県立恐竜博物館へ行ってきた。
 国内最大級の恐竜専門の博物館というだけあって、恐竜の卵を模した巨大な銀色のドームの中には、30体以上の恐竜骨格をはじめとする千数百点の標本があり、大型復元ジオラマや映像を駆使して恐竜の世界をたっぷりみせてくれる。
 地方にあるこの手の博物館はともすれば学術的な資料を陳列しただけのつまらないものだったり、逆にお金は掛かっているけど遊園地まがいのテーマパークだったりして期待して行くとがっかりさせられるところが多い。
 でもここは素晴らしい!、きちんとしたデータに裏付けられたストーリーに従って「生きた恐竜の世界」が展示されている。
 「生きた恐竜」といっても、もちろんジュラシック・パークのように本物の恐竜がいるわけがなく、化石と精巧に作られたリアルな模型が並んでいるだけである。
 しかし僕があえて「生きた」という表現をしたのは、恐竜たちがどんな所でどんなふうに暮らしていたのかという点が一貫して展示内容に組み込まれていたからである。

 今から7〜8年前にNHKでやっていた「恐竜家族(原題:Dinosaurs)」という海外ドラマをご存知だろうか。
 セサミストリートで有名なジム・ヘンソン・プロダクションの作品で、設定は現代の人間社会そのままに、人間の代わりに恐竜が暮らしているというホームコメディである。
 着ぐるみの恐竜がでてくるので、子供向けの番組かと思ってみていたら、実はかなりブラックで強烈な風刺に満ちた内容で、大人でなければわからない(笑えない)番組なのだ。
 シンクレア一家を中心に子育てや親の扶養、過剰労働といった身近な問題から環境破壊、人種差別、反戦など、実にバラエティにとんだテーマ設定で、やっぱりアメリカっていう国は凄いものを作るなぁと感心してしまう。
 このシンクレア一家の大黒柱がアールという恐竜で、上司にはこき使われ、妻にも愛想を尽かされ、3人の子供にもバカにされているという典型的なダメオヤジなのである。
 (アールは仕事にも家族にもうんざりしていて、政治にも環境問題にもまったく関心を示さず、日々、ひたすらナッツを食いながら、くだらないテレビ番組を見ているのだ。)
 日頃、いろいろなメディアで日本のダメオヤジの引き合いに、かっこいいアメリカの父親像がしゃしゃり出てくるのを苦々しく思っている僕にとって、このアールは「どこもおんなじやん」と妙に親近感を感じてしまうキャラクターなのだ。
 この番組の再終回は恐竜絶滅に至る話なのだが、定説になっている巨大隕石の衝突とはちょいと違う。
 この恐竜の世界では無計画な乱開発の為に環境破壊が進み、氷河期になってしまうという設定だ。
 絶望的なテレビのニュースを聞いたシンクレア一家は降り止むことのない窓の外の雪をみながら「家族はいつも一緒だよ」と言いながら死んでゆく・・・このラストシーンは泣けた。

 話がずいぶん横に逸れてしまったが、展示物を見て回りながら、僕はシンクレア一家のことを考えていた。
 「なんかあっけなくて悲しくなるよなぁ、いろんな恐竜がこれだけ繁栄していたのに。」とかみさんに言うと、彼女は「鳥は恐竜から進化したから絶滅はしたわけではないという見方もあるって書いてあったよ。」と言った。
 そうか、そういう見方もできるなぁ、でももう恐竜はどこにもいないじゃないか・・・。

 博物館の横にある丘の上で恐竜博士がベンチに座って、祖先の骨を眺めている。
 彼はネクタイを締め、眼鏡を掛けて、白衣を着ている。
 もし恐竜が絶滅しなかったら、そして人類が進化しなかったら、こんな恐竜博士が生まれていたかもしれない。


01丘の上の恐竜博士
(以下、クリックすると拡大します)

 なお、博物館内は基本的に撮影禁止となっていますが、ここに掲載した館内の画像は
 すべて撮影可能と指定された場所で撮影されたものです。

01 01  博物館のある長尾山総合公園には、子供たちを対象にした「恐竜化石発掘体験」という
 コーナーがあって実際に恐竜の発掘現場から運んできた岩石をタガネとハンマーで割っ
 て化石探しが出来ます。(さすがに恐竜の骨はでませんでしたが、このような植物の表
 皮の化石なら子供にでもすぐに見つけられます。)



10 福井県立恐竜博物館のホームページはこちらからどうぞ




2004年3月5日:ずいぶん短くてちっぽけだけど

 本を抱えて図書館を出るとすっかり日は暮れていた。
 駐車場へ向かう途中にある公園の広場で立ち止まり、ゆっくり深呼吸する。
 見上げた空には月がでていた。
 太陽はすでに西の空に沈み、わずかな光の射す広場にはもう人影はない。
 今日は穏やかで暖かな一日だった。
 もう3月、冬も終わりなのだ。
 やがて春が来て、夏が来て、秋が来て、そしてまた冬が巡ってくる。

 この星は1日約24時間かけて自転し、1年365.24日かけて太陽の周りを公転している。
 まるで独楽みたいに。
 ん?、何回廻ったのかって?  今日までにざっと46億回ってところだろうね。
 この星はガス状星雲の中から生まれ、太陽の周りを廻り始めた。
 そこから7億回廻ったところで最初の原始生命が現れ、きみの大好きな恐竜たちはさらに36億回廻らないと出てこない。
 でもたった2億回廻ったところで、大きな隕石が落ちてきて恐竜たちの時代はあえなく終わってしまうんだ。
 僕らの祖先が生まれてくるまでは、もうちょっと・・・、9985万回ぐらい廻ったあとかな。
 そして今、きみと僕がここにいる。
 僕が廻れるのはあとせいぜい40回ぐらい、きみは頑張れば100回ぐらい廻れるかもしれない。
 うん、それでもずいぶん短い、すごくちっぽけだ。

 でも今、僕らはここに立っていて、一緒に太陽の周りを廻っている。
 そして春を喜び、夏を楽しみ、秋にしんみりして、冬に大はしゃぎする。
 僕がいなくなってもきみが廻る。
 きみがいなくなってもきみの子供達が廻る。
 きみの子供達がいなくなっても、その子供達が、ここに立って太陽の周りを廻ってゆくんだ。
 彼らもまた春を喜び、夏を楽しみ、秋にしんみりして、冬に大はしゃぎするに違いない。
 ひとりひとりはずいぶん短くてちっぽけだけど、 今日からまだ1億回ぐらい廻れそうだろ?



2004年2月4日:イラク復興支援

 イラク復興支援特別措置法に基づく自衛隊の本格的な活動が始まった。
 小泉首相は「戦争に行くのではない、イラクの再建の手伝いに行くのだ。」というけれど、多くの国民の理解を得られないままの出発だ。
 アメリカがどうであれ、イラクという国が困っているのだから、世界の国はそれぞれ出来ることをやらなきゃいけない。
 お金は出すけど人は出さないという、これまでの日本の外交政策はあまりに淋しい。
 そして、支援する場所が場所だけに身を守る為に武装して、様々な支援活動を効率よく組織的にできる集団というと、それは軍隊でしかありえない。
 だから自衛隊に白羽の矢が立つことになる。
 どちらかといえば僕は肯定派だけど、問題はそんなに単純じゃないということも知っている。

 昨夜、NHKでイラクへ派遣される自衛隊の訓練の様子や、隊員とその家族達の心情を特集していた番組を見た。
 彼らはこの任務をもっとクールに受け止めていると思っていたが、きびきびした訓練の姿とは裏腹に、とても混乱しているようにも思えた。
 「日本の国を守るためなら頑張れるけど、何のためにイラクへ行くのかよくわからない、どうやってやる気を起こせばいいのだろうか?」という疑問。
 そして「誰にだって家族はいるから自分の身は守らなければならないけど、人を撃つ、人を殺すという行為に自分は耐えられるだろうか?」という不安。
 「災害で死ぬことはあっても、銃で撃たれて死ぬことはないと思っていた」という若い隊員の言葉は、この平和な国の軍隊を象徴している。
 いくら戦争に行くのではないと言われたところで、そこがまだ戦場であることに変わりはない。
 誰かに殺される前に誰かを殺さなければならない、これは僕らがテレビでみているイラクの映像ではなく、現実そのものだ。
 政府はそれぞれの自衛官にイラクへ行くことを強制はしていないとはいうものの、サラリーマンが転勤を断れないのと同じように現実には彼らに選択の余地はあまりないのではないだろうか。

 巷では賛否両論・・・というよりも、反対派と賛成派と大多数の無関心層に分かれている。
 無関心であることは、イラク派遣が持つ様々な矛盾、というよりも表向き平和な日本の国に内在する本当の危機という問題を自衛隊の隊員に押し付けているにすぎない。
 彼らは僕らの代わりにその疑問と銃を持ってイラクへ行く。
 それは個人が解決できる問題じゃないのに、僕らはそれを彼らの良心に委ねようというのだ。
 彼らは銃の引き金を引くか否かを決める、その生死を分ける瞬間に僕らの代わりにその答えを出さなければならないのだ。

 ともあれ、殆どの隊員が日本人としてイラクを助けようという強い使命感を胸に日本を飛び立ったと思いたい。
 賛成、反対、それぞれ意見は違うかもしれないけど、みんな無事に帰って来てくれることを祈ろう。



2003年12月24日:僕はサンタクロースを信じてた

 今年もクリスマスがやってきた。
 子供たちに見つからないように買ってきたオモチャを車から家へ持ち込み、押し入れの一番高いところへ押し込む。
 子供たちが寝静まったのを見計らって、偽造した「サンタさんからのお手紙」とともに居間のツリーのそばに並べる。
 翌朝、「どこから入ってきたんだろうねぇ、煙突もないのにねぇ」といっしょに首を傾げるのだ。
 すぐにサンタクロースの正体を知る日がくるけれど、それまではいっしょに楽しもう。
 日本のお気楽なクリスマスもいいもんだと誰かが言っていたが、キリスト教不在の日本式クリスマス、僕もそれはそれでいいと思う。
 でも、欧米の子供たち(大人も)にとってクリスマスは、僕らの知っているクリスマスとはずいぶん違うような気がする。
 昨年は、ジョン・レノンの歌を取り上げたけど、僕はクリスマス・ソングというとグレック・レイクのこの歌が一番好きだ。
 雪のクリスマスになるといいのになぁ。

I Believe in Father Christmas

みんながクリスマスは雪になると言っていた
そして地球に平和が訪れると言っていた
でも雨は降り続き 聖なる誕生日を涙のベールで被ってしまった

子供の頃のクリスマスの朝を思い出す
冬の日差しと遠くから聞こえる聖歌隊の歌
鐘の響きとクリスマスツリーの匂い
そして金ぴかと炎の光に目を輝かせていたんだ

みんなが僕に楽しいクリスマスを教えてくれた
きよしこの夜の歌も教えてくれた
そしてキリスト教のお伽噺もしてくれた
僕はサンタクロースを信じていた
だからドキドキしながら空を見ていたんだ
そして夜明け前にあくびをしながら目覚めると
変装したお父さんをみつけちゃったんだ

希望に満ちたクリスマスになるといいね
華やかな一年がくるといいよね
すべての怒りや、痛みや、悲しみがきみの心から消え去って
きみが正しい道に導かれることを祈ろう

みんなが雪のクリスマスを願っている
そして地球に平和が訪れることを願っている
ハレルヤ、ノエル 天国にいても地獄にいても
クリスマスは必ずみんなにやってくるのさ

(訳:風の番人)




2003年12月5日:鐘の音

 京都コンサートホールへ「管弦楽と伝統芸能の幸福な出逢い〜鐘の音〜」というのを見に行った。
 大友直人率いる京都市交響楽団と人間国宝の茂山千作一門の狂言の競演という面白い企画である。
 ベースになっている「鐘の音(かねのね)」という狂言は、主人から鐘の音を探して来いと言われた太郎冠者が、鎌倉の寺をまわって色々な鐘の音を調べてくるのだが、主人が指示した「かねのね」というのは実は「金の値」、つまり、刀の鞘を飾る金の値段を調べて来いという意味だったのだ。
 口真似で鐘の音を表現する太郎冠者といい、彼のトンチンカンな報告にあきれ返る主人の様子といい、まさに現代の漫才の原型である。
 (いつも思うのだが、この太郎冠者というのは本当は馬鹿じゃなくて、わざと馬鹿な真似をして主人をからかっているのではないだろうか?)

 ごぉ〜んという大きな鐘の音で第一部が終わり、20分の休憩を挟んで、いよいよ第二部はオーケストラと狂言の競演である。
 次郎冠者と三郎冠者が客席から現れる。
 彼らもまた「かねのね」を調べに、それも日本を飛び出しはるばる海外までやってきたのだ。
 そしてその探索はやはり「鐘の音」を捜し求める旅になってしまってるわけで、ウィーンを皮切りに行く先々で鐘をテーマにした音楽を聞くという趣向になっている。
 ドビュッシーの「沈める寺」とか、ムソルグスキーの「はげ山の一夜」などのお馴染みの曲を中心に、この二人組の会話が様々な情景を語り、音楽をリードしてゆく。

 こんなに楽しい(笑える)コンサートは始めてである。
 笑いの文化というのは芸術というステージに立つと、例えば悲劇的な映画や演劇に比べるとどうも一段低く見られてしまう傾向がある。
 でも人を笑わせて楽しくさせることは悲しい気持ちにさせることよりはるかに難しい。
 狂言がそういう笑いの文化として日本に生まれ、伝統芸能として残ってきたことは凄いことだし、欧米人からユーモアがないと言われる日本人にだって、こんなユーモアのセンスがあるのだぞと誇れるものがあることを嬉しく思う。(まさしく狂言はナンセンスでクレイジーな笑いである)

 いよいよ最後の鐘はムソルグスキーの展覧会の絵から「キエフの大門」。
 オーケストラは最高のロックバンドである。
 この夜も音の津波が三階席まで押し寄せ、やがて残響を残して静かに引いてゆく。
 そしてフィナーレ、大きな拍手を受けてオケのメンバーと共にステージに居並ぶ狂言の面々を見ていると、見る前に想像していたほど実験的でもなければ奇をてらったイベントでもなく、それは異なる道を歩いてきた二つの文化が交差した心地よい鐘の響きであった。

  (画像の鐘は大津市指定文化財「正休寺梵鐘」)



2003年10月23日:ウは宇宙船のウ

 以前から欲しいと思っていたペットボトル・ロケットのキットをトイザらスで偶然見つけた。
 これは噴射ノズルと翼をつけたペットボトルのボトルに水を入れ、ポンプで空気を詰め、飛ばすロケットのオモチャである。
 家族が寝てしまった後、3日ほどかかって作ったが楽しかった。
 深夜の室内での試射(水抜きで)を経て、いよいよ本番打ち上げの日は風が強く、何処へ飛んで行くかわからないという状況の中で、盛大に水を噴出してかなりの高さまで飛んでゆくロケットはなかなか気持ちが良い。
 もっとも、きっと喜ぶと思っていた上の息子は、最初の発射場所が土の上だったお陰で泥水をもろに被り、気分を害したようで、以降、関心を示さなくなってしまった、やれやれ。

 レイ・ブラッドベリの初期の短編小説「R IS FOR ROCKET(ウは宇宙船のウ)」の中に「THE ROCKT」という話がある。
 屑鉄業を営む貧しい一家はロケットで宇宙旅行に行くのが夢であった。
 ある日の朝、父親は貯金をはたいて家族の中からひとりだけを選んで火星へ行こうと提案する。
 しかし、それぞれが家族を思いやるゆえに誰が行くか決まらない。
 その午後、父親の仕事場であるスクラップ置き場にとんでもない屑鉄が持ちこまれる。
 なんと宇宙船である!、ただし設計段階で作るアルミニウム製の実物大模型であるが。
 彼は2000ドルでこれを買い、これを飛ぶように改造するのだ。
 もちろん、模型だから飛べるわけがないのだが、あたかも宇宙を飛んでいるように振動し、窓からは惑星や隕石が見えるような仕掛けをして、子供たちを乗せる。
 「この宇宙船は古いから一度きりしか飛べない、だからしっかり目を開けて見ておくんだ。
そして耳をすませ、宇宙船の匂いをかぎ、感じ、覚えておくんだ。
そうすれば一生楽しい思い出が残る。」
 一週間をこの宇宙船で過ごし、子供達は大喜びで待っていた母親に体験したことを話す。
 すべてが父親の仕掛けた手品だったとわかっていても。
 寝る前に子供たちは父親におやすみを言う。
 「おとうさん、いつまでもあれを覚えているよ、きっと忘れないからね。」



2003年10月4日:仰木の里山をゆく

 秋晴れのある日、仰木(おうぎ)へ棚田を見に行った。
 大津市の東の端にある自宅から愛車MOTORAで一時間、奥比叡の麓に仰木の里がある。
 山の斜面に扇状に幾重にも重なって広がる棚田は、どこから見ても絵になる風景である。
 (もしかしたら仰木の地名は、この扇からきているのかも知れない。)
 元々湖西地方は比良山系から琵琶湖に滑り込むような地形になっていて農地に適した平地が少ない。
 この美しい棚田もそうした地理的条件の中で出来るだけ農地を増やそうとした努力の結果である。
 この地区は景観保護地域に指定されているが、これを維持してゆく里の人達の苦労は並大抵ではないだろう。
 最近、全国で市町村がボランティアを募って荒廃してゆく里山を守ろうという動きが盛んである。
 しかしながら、そこに住む人々の生活圏の中で機能していた里山が、はたして日曜日に都会からやってくるボランティアで維持できるのだろうか?
 まぁ、それはそれとして、今日は秋の里山を楽しむことにする。
 すれ違った地元のおばあちゃんに会釈して、さらに山のほうへ向かう。

 アップダウンがきついのでバイクのサブギアを登坂用の低速ギアに切り替え、蛇行する農道をのんびり走ってゆく。
 実に気持ちがいい、MOTORAもアスファルトの道ではなく、こういうところを走るように作られたバイクなので水を得た魚の如く走ってくれる。
 おっと危ない!、あまり調子に乗っていると道を横切るヘビを轢いてしまうので注意!
 この道が迷路のようになっているので、なかなか目標の場所に辿り着かないのがまた面白い。
 何度もUターンを繰り返した末、辺りでは一番高いと思われる棚田に登る。
 背後に比叡山、左に続く比良山系、そして前方には幾重にも織り込まれた棚田が広がり、その向こうには竹生島を浮かべた琵琶湖が見える。
 青い空が高く、雲が流れてゆく。
 ザックを降ろしヘルメットを脱ぐと汗ばんだ髪に吹く風が心地よい。
 ミネラルウォーターのボトルからごくごくと一気に飲んだ水がこぼれて胸元を濡らした。
 穏やかな昼下がり、里山は静かに秋を迎えていた。

 (※クリックすると大きな画像になります)

01 02 祠 03 稲を干しています 04 MOTORA 05 06 比良山 07 竹生島 08 09 10 11 丘の向こうへ続く道 12 13 14 15 16 稲穂 17 18 19 20 トトロの道



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